本日は、私のインタビューにも応えて下さったソプラノ歌手、田中絵里加氏のリサイタル評論になります。
本来なら昨年開催される予定だった演奏会だったのですが、皆様ご存じの事情で今年に延期された挙句、本来なら本日は祝日だったはずなのに、某イベントのせいで祝日が移動して平日の昼間に開催されることになってしまったという経緯があります。
<出演>
田中 絵里加(ソプラノ)
宮里 直樹(テノール)
上江 隼人(バリトン)
河原 義(ピアノ・司会進行)
<プログラム>
前半 椿姫ハイライト
❝乾杯の歌❞
❝不思議だわ…心の中にあの言葉が❞
❝あの人から離れて僕に歓びはない❞
❝ヴァレリー嬢ですか?❞
❝ゾロヴァンスの海と大地を❞
❝さようなら、過去の愉しい夢よ❞
❝愛しい人よ、パリを離れよう❞
後半 プッチーニのアリア特集
ラ・ボエーム❝私が街を行くと❞
ジャンニ・スキッキ❝ああ!私の愛しいお父さま❞
妖精ヴィリ❝もしお前たちのように小さく可愛い花なら❞
❝いや、そんなことはあり得ない❞
トューランドット❝誰も寝てはならぬ❞
この演奏会、リサイタルと言いながら、伴奏を務めた河原氏の作品解説がとても長くて、
個人的な感覚として、某青い島の作曲家が伴奏を務めているコンサートを彷彿とさせられました(笑)
なので、お話は確かに長いのですが、知識量が豊富でとても興味深い内容が多かったので、ただ歌う曲の概要や歌詞を解説するよりも聴き手に作品のイメージを持たせることが出来ていたのではないかと思います。
河原 義氏の試みについては以下参照
演奏については、前半が椿姫のハイライトで後半がプッチーニのアリアでした。
当初はプログラムが逆だったのですが、なぜこうなったのだろう・・・。
椿姫はヴィオレッタが死んで終わるのを避けるため、ヴィオレッタとアルフレードの重唱「パリを離れて」で終わっていました。
では、ここからは出演者の批評になります。
●ジェルモン役
上江氏のここでの出番は2幕1場のヴィオレッタとのやりとりと、アリア「di provenza il mar il suol」でした。
この映像の演奏より本日の演奏は良かったのではないかと思います。
まず高音が安定しており、上の映像よりも余裕をもってFis辺りの音が出ていました。
体格があるためにどうしても強い圧力が掛かってしまうのか、”i”母音の芯のある響きを軸にその他の母音が前に出ていることは素晴らしいのですが、高音に比べれば低音が鳴らないのは気になるところで、もしかしてテノールになった方が良いのでは?などと思ってしまったほどでした。
上江氏の歌唱で一番気になるのはレガートで、
どうしても1音1音止まって聴こえてしまうところ。
文章で表現するのはとても難しいのですが、響いているポイントはとても良いけど、どこか不自然で人為的に作り出したティンブロな感じが否めず、いうなればドミンゴの声の出し方に近いものを感じてしまいます。
現代最高のヴェルディバリトンの1人、ヴァッサッロの歌唱を聴いて頂くと、人為的でないバリトンのアクートがイメージできるかもしれません。
FRANCO VASSALLO
●アルフレード役
宮里氏h1幕の重唱と2幕のアリア、3幕の重唱をそれぞれ歌いました。
アリアは残念ながらカバレッタなしだったので、最後ハイC出すのかな~と期待してたら、そもそもカバレッタやらないんかい。と肩透かしを食らった形となった訳ですが、
それはともかく、高音の強さはそこらの外国人にも引けを取らないなという印象は相変わらずでした。
やっぱり彼の歌唱は、故ヨハン・ボータに似てる気がしてならない。
E lucevan le stelle
7分~、宮里氏のE lucevan le stelle
Johan Botha
歌唱としては相当完成されていると思うので、後は正直曲の合う合わないや好き嫌い。
フレーズの歌い回し、作品の様式感といった部分になってくるのではないかと思います。
気になった部分と言えば、アリア「dei miei bollenti spiriti」で、付点のリズムはもっと出た方がよかったと思ったことくらいです。
役に声が合ってるかどうかという部分では、アペルトにするという意味ではないですが、高音が直線的なので、開放的で明るい感じが欲しいと思ってしまう。
パワーだけで押している訳では全然ないのですが、イタリア物より、ドイツ物の方がしっくりくる高音と表現すれば良いのでしょうか。
素晴らしい演奏なのだけど、イタリアオペラを聴いてる感じがしないと言えば伝わるでしょうか。
持って生まれた楽器が10年の1人の逸材レベルなので、私のような凡人にはとても彼の声について上手く文章にする術がなくて申し訳ありません。
端的に言うなら、繰り返しになりますがヨハン・ボータのよう。という以外ないです。
●ヴィオレッタ役
田中氏は「addio del passato」を短縮版で歌った以外、ほぼ重唱とアリアを歌ったかたちでした。
まず何が素晴らしいって、どこも全力で声を出している感じの箇所がなかったことで、どこを切ってもヴィオレッタという役がそこにいるという錯覚を覚えるほど、全体がその役として自然な呼吸で歌われていたことです。
パーツで切り出せば、彼女より高音のピアノの表現が得意な歌手はいるでしょうし、声量だって彼女より出る歌手は幾らでもいるでしょう。
しかし、これほど簡単そうに自然に難役を歌えてしまう歌手というのは中々いないと思います。
そんな彼女の良さが際立ったのが2幕のジェルモンとのやり取りでした。
まず息子を篭絡させた女と蔑まれて怒るところから、アルフレードへの愛を証明してみせ、理解されたことに安堵が訪れたかと思えば束の間で、離れることを求められ、それでもジェルモンの言葉を理解する(高級娼婦ってこんなもの分りが良いものなのか?)という賢者顔負けの自己犠牲を即決してしまう。という、
一言一言で感情の起伏が起こる割にはプッチーニのようにオケが助けてくれる訳でもないので、歌手と言う以上に女優としての能力が試される場面。
子音を特段強調したり、演劇的に胸声を使ったりすることなく、息のスピード感や、時には聴かせるブレスをしたり、微妙なポルタメントの掛け方で変化を付けるという手法は役の心拍数としっかり同期していて、ただただ歌の上手さに圧倒されました。
私はそこまでこのオペラが好きではないこともあると思いますが、今までこの場面が退屈で仕方なかったのですが、本日はこの場面で初めて感動しました。
声だけを取り出すと、ソプラノとしてちゃんとアクートと言える高音が出せているので、
中音域~高音まで声の質が変わらない。
addio del passatoの最初に手紙を読み上げる場面がありますが、その時の声と歌声が別物になっていないと言えば伝わるでしょうか。
これが喉が下がったポジションで歌えているということなのでしょう。
課題という面では、”i”母音が時々開き気味になって、”e”母音寄りの曖昧な母音になってしまうことがあったことでしょうか。
後は、中音域の”e”母音に苦手意識があるのか、曖昧母音に寄せたり、”i”に寄せたりして揺れないように処理している印象を受けました。
高音のポジションが本当に素晴らしいだけに、そこに抜けていく過程で苦労するというのはソプラノもテノールも共通なのでしょう。
そこからする、やっぱり宮里氏の一般的なパッサッジョ付近、Es~G辺りのコントロールは、
被せるとはちょっと違うのですが、横に広がったり揺れたり、あるいは詰まったりしない母音の幅で歌える安定感は、それだけで一流のテクニックと言って良いと思います。
後半は、このリサイタルの企画者である河原氏の好みが反映されていたのか、
妖精ヴィッリの作品から2曲歌われたのは中々興味深かったです。
私もこのオペラはテノールアリアしか知らなかったので、どんな曲か、参考までに貼っておきます。
se come voi piccina io fossi
no possibil non e puccini
プッチーニのアリアとして、当然のように最後はジャンニ・スキッキから「o mio babbino caro」が歌われたのですが、この曲単体で聴かせるというのは、ある程度過剰な表現をしないと無理なのかなと悟ってしまった感がありました。
勿論上手かったのですが、前半のハイライトのようにその役として通してアリアを歌う時と、アリア単体で歌われた時では、アリアだけ取り出した場合、自然に歌われてもパンチが足りないと言えば良いのでしょうか。
ラウレッタとしてではなく、今回で言うなら田中絵里加として歌っている姿を聴衆は求めてしまう部分があるように思うのです。
勿論楽譜に忠実な演奏を好む人もいるとは思いますが、有名になってしまった曲の宿命とでも言えば良いのでしょうか?
ある程度技術を見せるポイント。
例えば過剰な高音でのMessa di voceであったり、ゆったりめのテンポにしてたっぷり聞かせたりなど、物語や歌詞とは関係なく、旋律を一番魅力的に聴かせられる歌唱を時には追求しないといけないこともあるんだなと、感じてしまったのが今回の演奏会での発見でした。
オペラ全曲とその役としてアリアを歌う場合と、演奏会でアリア単体を取り上げる時で歌い方を変えるというのは、有名な作品である程考慮すべき事柄なのかもしれません。
本場で郷土料理を勉強してきた料理人が、そのままその料理を提供するのが良いのか、
その地域の人達の味覚に合わせてアレンジするのが良いのか、みたいなのに似ているのかな?
ふと、某指揮者が第九はカップヌードルのようなモノで、流行り廃りで色々な味が出ては消えていくように、演奏スタイルも時代ごとに色々なものが出ては消えているが、スタンダードな演奏解釈はずっと残り続ける。と言っていた言葉を思い出してしまいました。
といったところ、今回の批評は以上になります。
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